あの日から、もう、2週間近く経ってしまったのかと、時の過ぎゆく早さに驚かされます。
7月18日、俳優の三浦春馬さんが お亡くなりになりました。
ドラマ「14歳の母」で彼を見た時、なんて繊細で、透明感がある人なんだろうということが、とても印象に残る方でした。
そして、あの日から、多くの報道やSNSの中で、様々な憶測や情報が いくつもいくつも駆け巡っているけれども、
「なぜ? どうして?」と、言う真実は、彼だけにしか分からない。
その生きた証に思いを寄せること、彼の「生」に光を当てることが、一番の哀悼になるのではないかと思ったのです。
ある動画のコメントの中に書かれていたように、こんな気持ちになった方も、多いのではないか?と思うのです。
多くの人に共通しているのが、彼の熱烈なファンでなかった人達が
彼を失った喪失感で涙し、悔やんでいるということ。偉大な俳優だったんだ。
私もあの日から同じように、彼のドラマや映画、舞台の映像と作品を見続けて、彼が創り出す世界、醸し出される空気に
配役によって全く違う顔や姿を見せる、「三浦春馬」という一人の俳優に、心を奪われていきました。
彼の生きた証である「彼のいた時間」を作品から味わって、彼のホロスコープに込められた魂の願いと向き合った時
彼の作品は「命」や「創造」がテーマ多いように、真摯に「生と死」「自分を生きる」ことに向き合ったのではないだろうか。
そして、彼はちょうど、今が占星術でいう「サターンリターン」と言われる、人生の大きなシフトチェンジの時期で
30年間という、彼が生きた時間に育まれた彼の作品を通して、これから形は変わっても、みんなの心の中に生き続けていく
最後となった歌にもあるように「生きる理由」自分である理由を問いかけていく存在へと、昇華したのではないだろうかと。
彼がここまで全力で生きてきたように、私も自分が生きる意味を、思い残すことなく形にしようと改めて思ったのです。
さて、たくさんの彼の映画やドラマを見ていく中で、特に心の奥まで深く突き刺さったドラマがありました
ALS、筋萎縮性側索硬化症という難病と、共に生きた主人公を演じた 僕のいた時間 と言うドラマです。
ドラマは、こちらからご覧になることができます。https://fod.fujitv.co.jp/s/genre/drama/ser4559/
「全力で生きてやる」 この言葉が、キーワードにもなったこのドラマは
「『命』を テーマにした作品にチャレンジしたい」と、彼自らがドラマ の発案をした作品だったとか。
この2020年、私たちを取り巻く環境や生きる世界が、今までとは違った思いもよらない形へと、変化し続けている今
彼がこのドラマに対する思いを綴ったメッセージが、心に響きました。
突然、大きな闇に包まれて、自分が過ごしていた世界が、どんどん変化するけれど、
ただ、暗いだけじゃなく、その中でどうやって希望を見いだしていくのか。
そして、今まで意識していなかった、周りの支えに感謝できるような
そんな思いが伝えられる芝居をしたいと思います
ちょうど、この期間に「自分の思い・欲求を大切にして、愛と喜びがある人生を わたしが創造する」がテーマの
8月の講座のテキストを、ファシリテーターメンバーと共に作りあげる、そんな時間を過ごしてきて
このドラマの第8話にあった、こんな母と子の会話が、今回のテキスト部分と被っていたことや
自分も子供側、母親側のどちらの立場にもなったことがあるだけに、どちらの気持ちも分かって涙が止まらなくなったのです。
<拓人(三浦春馬さん役)>
(弟が)医学部を目指して頑張っていたのも、母さんが「頑張ったね」と褒めてくれるから。
母さんが喜ぶ顔が見たかったから。
いつも褒められる陸人(弟)が羨ましかった。
母さんが望んだ大学じゃなかったけど、母さんの知らない会社だけれど、
病気になって、できないことがいっぱいだけれど
俺はずっと母さんに認めてもらいたかった。俺のこと認めてよって、心の中で何回も叫んだ。
本当は、母さんに言いたいことがいっぱいあった。
病気が分かって、どうしていいのか分からなくなった時は、「助けて」って。
なんで気づいてくれないの、何でだよ、何でちゃんと見てくれなったの?
<母>
私だって、必死だったのよ。良い嫁だって認めて欲しくて。男の子を産んで、医者に育てなきゃって。
どうして、こんなことに。ごめんなさい、ごめんなさい。
8月のテキストの中にある、「太陽」や「5ハウス」が伝える学びには、こんな一節があります。
私たちは誰かの言いなりや、期待を生きるのではなく、何を目的に自分が生きるのか
自分の人生を自分で考えて、自分の希望で選択していくことが大切になる。
多くの人が家族や、誰かが望むように、親のレールを生きるように自分を生きず、
いくつになっても、誰かのための自分を生きてしまうことがある。
親は自分の達成できなかった希望に対して「この子には、私と同じ思いをさせたくない」と思うことがある。
これは、自分の夢や希望を相手に肩代わりして果たしてもらうことで、喜びや陶酔感を得ようとする
投影になることもあり、相手には、抑圧や支配になることもある。
いくつになっても自分で自分の願いは叶えなければ、決して満足する人生はない。
自分らしい生き方をするよりも、誰かにどう思われるのかと、誰かや社会の目を気にして生きてきたこと
だから、自分らしさとか、自分の希望ってものがなんなのか、自分が一番、本当の自分を分からなくなっていたこと。
「誰かや社会の期待に応えて、役立たなければ価値がない」と、誰かに望まれる、選んでもらえる自分を生きてきたこと
それがいつしか、演じて生きてきた自分と、本当の自分との間で不協和音を起こし、生きることが苦しくなっていたこと。
一人の母として、子供を持つ親として「子供たちの将来のために」と、一生懸命、必死にやってきたこと
それが、実は自分の中に「いいお母さんだと思われたい」と、世間に評価されたい、認められたい思いもあったこと。
子供のチャンスを広げることで人生の選択肢が増えると思ったこと、人生で転ばないようにと先回りしてやってきたこと
けれど、それが「ママの期待に答えたい、ママを喜ばせたい」と、子供に思わせ、本音を言い出せないことになっていたこと。
私自身が生きることに不器用だから、ずーっと自分が分からなくて、そんな生き方をしてきた自分に、絶望したこともある。
けれど、そんな私でも、愛の掛け違いと、自分と生まれてきた意味を見つけて、自分を生きることができるようになった。
このドラマで、親子が本音でぶつかり合い、本当の自分で生きることを支え合っていくように
私自身が、みんなに認められる「いい人」や、ちゃんとしている「いい妻」「いいお母さん」という役を演じることをやめて
本当の自分を、誰でもない自分が認めて、「これが、私」と、いい意味での諦めがついて、自分に全面降伏をした時に
そこには、最初から自分はいつも愛の中にいたこと、勘違いをしていたことや、お互いが掛け違いをしていたことに気づき
子供たちや家族、自分を取り巻く世界の人たちも、自分らしく生きる生き方へ自然に変わり、優しい世界が広がったのです。
また、最終話には、その主人公が、講演をする中で、こんな話をする場面がありました。
誰もが一度は考えた事があると思います、『自分は、何のために生まれてきたんだろう?』って。
病気になる前の僕は、別にこれといって目標もなく、漠然と毎日を過ごしていました。
自分ってものがなくて、家族にも本音を隠し、
いつだってキャラクターを演じている、自分が好きではありませんでした。
そんな僕が病気を告知されたのは、社会人1年目の時です。ALSという、筋肉が衰えていく病気です。
僕はこの病気になって、何度も覚悟をしてきました。僕は病気に、たくさんのものを奪われてきました。
奪われていくことばかりに目を向けても、恐いばかりで、今できることに目を向けるしかありませんでした。
目標を見つけては失うことの繰り返しです。僕が今、医学部へ入学したいという気持ちだけは病気には奪えません。
この先、全ての目標を奪われたとしても、僕が目標に向かって生きた、という事実も奪われないのです。
それに、病気が与えたのは、絶望や苦しみだけではありません。
僕は人の温かさを知りました。家族と真正面から向き合えたり、わがままを言えるようになりました。
愛情を信じられるようになりました。自分の事がちょっと好きになりました。
自分が持っている幸せにも、気付くことができました。今を生きること、この世に生まれてきたこと。
死ぬのも恐いし、生きるのも恐い、死ぬ覚悟も、生きる覚悟も簡単にはできません。
周りの人は、僕が生きてさえくれればそれでいいと言います。
家族や大切な人のためだけに生き続けることができるんだろうか? それは全くわかりません。
ただ、ひとつわかっているのは、僕がどんな状態になっても、僕が愛と温もりに包まれている、ということです。
僕は、愛と温もりだけで、生き続けることができるんだろうか?
それだけで自分が生きている意味を、感じることができるんだろうか。
僕は何もできないどころか、生きているだけで手がかかります。
それでも生きていていいんだろうか。そのことをずっと考えてきました。
僕が生きているだけで、周りの人たちが生き甲斐を感じてくれるんじゃないか。
僕が生きているだけで、生きる意味を社会に問い掛け続けることができるんじゃないか。
じゃあ、生きているだけの状態で、僕が僕で存り続けるには、どうしたら良いのか。
そうなった時に、僕を支えてくれるのは、これまで生きた時間、『僕のいた時間』なんじゃないか。
僕は覚悟を決めました 『生きる』覚悟です。 今を、全力で生きたいと思います。
彼が一つひとつ、丁寧に、自分の中から絞り出すように、自分の思いを形にして伝えた言葉の数々は
病気と言う言葉を、私たちが今、直面している問題に置き換えてみると、全力で自分を生きる勇気を与えてくれるように思う。
そして、私たちの人生の目的を叶える太陽の学びは、私たちにこんな風に、自分を生きることを教えてくれるのです。
太陽は、自らが解き放つ光によって、何もしなくても植物や動物の命を生かし、自分の力で命を育むことへ導くもの。
私たちも誰かのために役に立たなければと、自分らしさを押し殺して、無理に輝こうとするのではなく
自分が生きる喜びに満ちて、内面から輝いている生き様を見せることが、誰かの生きる希望・命に繋がり、社会貢献となる
そして、7月は、ライフレボリューションプログラムの3期生に「家族」や「自分の居場所」「無意識の恐れや願望」を
テーマにセッションをする中で、何度も考えさせられたことがありました。
それは、「人に、迷惑をかけてはいけない」 この私たちが強く握りしめている思いが、自分や大切な人の希望に
「それって、わがままなのではないか?」「そんなことをしたら、みんなから嫌われる、拒絶されるのではないか?」と
自分の希望で生きることができず、誰かの希望を認められずに、影を落としていることを、何人もの中に見つけたのです。
私自身もこの「人に迷惑をかけちゃいけません」そう言われて育ってきたこともあって、人に何かをすることは喜びなのに
人に頼ること、人にお願いすることが苦手で、「こんなお願いをしたら悪いよなあ」と、罪悪感さえつきまとうことがある。
だから、自分の容量を超えてしまっても、自分でやらなければならないと、SOSを出せずに苦しくしてしまうことや
そして、子供たちにも同じように「人に迷惑をかけちゃいけません」と、育ててきたこともあると思う。
ところが、ある時、アドラー心理学を学ぶ中で、自分の世界がひっくり返るようなことがありました。
自立とは、自己中心性からの脱却である。自分ひとりの力だけで、自立がなされるのではない。
自分でできる事は自分でしながら、自分の器を超えることや、本当に必要な時に人に頼れることが真の自立
そして、こんな時代が大きく変わる中で、今の私たちに大切な言葉を、形にして伝えてくれた方がいらっしゃいました。
一般的に「自立」の反対語は、「依存」だと勘違いされていますが、
人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。
「自立」と「依存」という言葉の関係によく似ていますが、「希望」の反対語は「絶望」ではないと思います。
絶望を分かち合うことができた先に、希望があるんです。
私たちは、愛だけでは、生きていけない。けれど、愛がなくては、生きていけない
どんな自分も丸ごと、受け容れてくれる誰かがいるから、自分の帰る場所があるから、絶望も希望へと変えていける。
それには、「迷惑だ」と、拒絶されるのではないかと怖さを超えて、相手の愛や支えをリクエストすること
そして、自分の期待した形でなくても、そこに愛があることに気づくことができる、自分になることも大切なこと。
「人」という字が、支え合っているように、私たちはお互いに支え、支えられながら、気持ちを分かち合って生きていく。
かっこ悪い自分や、絶望さえも共有できる、共感できる誰かや、愛がそこにあることが、私たちの命を支えてくれる。
そして、お互いに支え合うことが、自分の存在意義や生きる意味を、そこに見出すことができるのだと思うんだ。
2020年は、社会の大変容の年になり、この先の世界には、今までの社会通念、常識、価値観などが通用しない、
全く違う世界や時代が、私たちを待ちうけているだろうと言うことが、星の流れ的にもかねてから言われています。
実際に、コロナウイルスや気候変動などによって、私たちの生き方は外側からの影響で本当に大きく変わり続けて
これから先の生活、社会に漠然とした不安を感じることや、精神的なプレッシャーを感じることもあると思う。
そして、今、社会を表す山羊座という星座に、破壊の星の冥王星、社会のルールを決める土星と木星が一つになって、
この先「自分の命の使い方や、自分が社会とどう関わって生きていくのか?」そんな見直しをする時間だとも思うのです。
その山羊座には、「使命・自分の命の時間をどう使うか」「人生を全うする」「社会的成功」という意味があるけれど、
実は「孤独」や「理性だけでは割り切れないものを理解する」と、いうようなテーマもある。
それは、自分の生きた時間を形にするために、自分の生き方を全うするために、ストイックなまでに極めていく中で
「孤高」とも言えるような美しさや気高さでもあり、自分と向き合うこと、自分と戦うからこその孤独でもあると思う。
けれど、時にはその道の中で、孤高の道を歩くからこそ、自分がこの世界で本当にひとりぼっちになってしまったような
この世界には、どこにも愛や希望なんて見つからない、そんな絶望感に襲われることもあると思うのです。
けれど、どうか忘れないで、
人生という高く険しい道を歩き、社会で自分を懸命に生きようとする中で、あなたが生きることに傷ついた時
あなたを、いつも遠くから見守り、応援し、あなたを支えたいと心から願っている、そんな人たちがいることを
疲れて果ててしまった時には、いつでもあなたを待っている、暖かい温もりや帰る場所が、あなたにあることを。
そんな山羊座的な生き方を支えるのは、反対側に位置する、蟹座的な生き方を取り入れることだと、星たちは伝えています。
自分の帰る場所になる、殻を脱ぐことができる、愛情に溢れた家庭や人との関係性がなければ、
自分らしい人生を全うするよりも、心の穴を埋めようとして、愛情や自分の居場所を求めて、社会で活躍しようとする。
自分の心が休まる、他者と戦わなくていい、素のままでいることができる、
自分のシェルターのような精神的な居場所、誰かとの愛情関係を確立することは、社会的土台を確立するためにも大事なこと。
人は時には、生きていることが苦しいことがある、生きることに、人生に絶望しか感じられない時だってあると思う
そんな辛い時は逃げたっていい、背負いきれない荷物を下ろしててもいい、誰かに打ち明けて弱い自分を見せてもいい。
たとえ、あなたが誰かに認められる、愛される生き方や、社会に求められ、選ばれる生き方から降りたとしても
あなたが、今までとは生き方を変えたとしても、本当にあなたを愛する人は、あなたから決して離れることはない。
どんな自分も受け容れてくれる、寄り添いあう愛ある居場所の中で、私たちは傷ついた心を癒し、充電をすることができる
そんな蟹座の学びを土台にして、私たちの魂が進化していくプロセスになる、次の獅子座の学びへと繋がる
自分の希望を取り戻し、唯一無二の自分の命を輝かせて、もう一度、自分の人生を創り出して生きることができるのだから。
ライフ レボリューション プログラム Awakening ファシリテーターによる、
8月開催のプログラムは「愛」や「希望」がテーマ!
あなたが本当に欲しいと願っている、自分の愛や希望の形を知って、もっと幸せな人生を生きてみませんか?
<本当の自分と、自分の生き方へシフトする>
ライフ レボリューション プログラム Awakening ファシリテーターによる、8月のプログラムは
『自分の帰る場所、心の居場所があるから大切なもののために、わたしは強くなれる』
『自分の思い、欲求を大切にして 愛と喜びがある人生を、わたしが創造する』をテーマに行います。
4. 自分の帰る場所、心の居場所があるから大切なもののために、わたしは強くなれる
<心理占星学>
家庭・幼少期・無意識の願いと恐れ・自分の居場所 (蟹座・月・4ハウス)
<コーチング>
心の底にある思いを知る質問
<心理学 x 脳科学>
自分の心の底の思いと向き合う心理学
<体感ワーク>
自分と他者への思いやりを育むワーク(ビジョンボード・アロマ・マインドフルネス)
5.『自分の思い、欲求を大切にして 愛と喜びがある人生を、わたしが創造する』
<心理占星学>
自尊心・自己肯定感・自己表現・創造性・希望 (獅子座・太陽・5ハウス)
<コーチング>
自分の人生を自分で創造する質問
<心理学 x 脳科学>
愛の定義を書き換え、望んだ人生を創る心理学
<体感ワーク>
心を開き、素直な私を育むワーク (ビジョンボード・アロマ・マインドフルネス)
オンラインのZOOMで、どこからでも受講いただけます。
ファシリテーターと「愛と希望に溢れる生き方を学ぶ」ライフレボリューションAwakeningは こちらからご覧ください
2020年度の 田中みずえのライフレボリューションプログラムは満席となり、受付を終了しました。
こちらの講座はグループセッション付きで、ファシリテーターを目指す方にはご受講が必須要件になります。
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ライフレボリューションプログラムの詳細については、下のバナーからご覧ください。