2ヶ月の日本での夏休みを終えて
先週、ホーチミンに帰ってきました。
そして、今年の夏
肝臓がんから、肺がんへと転移した
義父が、天へと帰りました。
私たちは、人生の中で
沢山の決断と、日々、出会うけれど
家族の「病」や「死」に
繋がるかもしれない、決断の重みは
やはり、
計り知れないものがあって
抗癌剤治療にするのか、代替医療を選ぶのか
緩和ケアや、延命治療 など
どこまでするのか、では、どこで引くのかと
年末から、ここまでの間
何度も、話し合った日がありました。
その答えに
正解なんて、どこにもないだろうし
どんな答えを出しても
後悔しないことなんて、ないのかもしれない。
それでも、
少しでも、その本人にとって
ベストな道を探してあげたい
本人の希望、願いを叶えてあげたい と思うのが
やはり、家族なのだと思うのです。
最近では、
クライアントさんたちの
両親の介護問題についての悩みを
聞くようになったことも、多い今
介護する側の方の思いや
物理的・体力的な問題にも、自分も直面して
改めて、家族と共に生きることについて
深く考えさせられているところです。
主人と縁を結ぶことになったのは、この江ノ島の 龍恋の鐘
ここにある鐘を鳴らし、この金網に二人の名前を書いた南京錠 をつけると
永遠の愛が叶うと言われる伝説があります。
ところで、
私たちは家族は、通夜や葬儀を行う
セレモニーハウスに宿泊することになり
実は、その日の夜、
亡くなったお義父さんと、話すことになりました。
今までも、
生徒さんや、クライアントさんの
亡くなった、ご家族の方たちなどが
自分の思いを、その方へ伝えて欲しいと
私の所にいらっしゃることはあるけれど
その日、お義父さんが
メッセージを伝えたかった人は
実は、私だったのです。
それは
「○○を、よろしく頼むね。」と
息子である、主人のことを頼みにきたこと
そして
「あんたも、塩梅ようやれよ」と
(あなたも身体に気をつけて、頑張りすぎないように)
主人の実家に、帰省した時に言っていた
いつもの言葉を、かけてくれたのです。
親って、たとえこの命が
この身が、この世で終わったとしたとしても
自分のことよりも
自分の子供のことを、大切に思うものなんだ と
私自身が、もうすぐ
18歳と、16歳の母となる今
成長をしていく、手放した子供に対する思いも
痛いほど、伝わってきたのです。
でも、こんな話を聞いて
私の親は自分のことを、そんな風に思うはずがない
そう、思われる方もいるかもしれないし
昔の私は、そう思えなかったと思うのです。
けれど、
この夏、大阪と東京で開催した
たくさんの家族の思いや
父や母の思いを、聞くことになって
たとえ、今、
お互いの関係性が、うまくいっていなくても
たとえ、今、
もうその身が、この世界になかったとしても
どのご両親も、私たちが
自分の子供たちへ持っている、思いと同じように
いくつになっても、自分の愛しい子供であり
時を超えて、守りたいと思うもの には変わりないと
それだけは
たしかなこと なんじゃないかと思うのです。
19年前、主人の実家に挨拶に行くために
初めて名古屋に降り立って、主人の先輩にご馳走していただいたのが
この、あつた蓬莱軒 の ひつまぶし 本当に美味しくて感動ものです♡
まあ、、、そうは言っても
実は私、お義父さんを
そして、お義母さんに対しても
ちょっと、どこかで
苦手と思っていたところがありました。
なぜなら
嫁として、どんなに気を遣ったとしても
いつも結局、自分のやり方を貫き通して
その思いを受け入れてくれないような姿勢が
気遣いのなさのように感じて、嫌だったのだと思います。
でも、今、思えば、私とは
性質や価値観、習慣の違いがあっただけで
自分を、否定されているように
自分が、いつも居場所がないように
私が、勝手に思っていただけだった。
他者との関係性を大切にしたい
天秤座という性質が多い、私にとっては
「相手や周りに、気を遣うのは当たり前」であって
そうでないとしたら、愛がない
そう、思ってしまったのだと思うのです。
でも反対に、義父と義母は
私のホロスコープにない、火の性質を持っていて
裏表がなく、とても率直な人たちで
何か思うところがあれば、ストレートに話すだけに
義父も義母も、ある意味では
私を家族と同じように思っていたからこそ
お客さん扱いをせずに、その分、遠慮も
気遣いもしていなかっただけだったんだと。
そして、その両親だからこそ
私自身に足りない部分で、人生の課題でもある
「言わなくても察してよ」と言うのではなく
自分の思いを正直に伝える
自己表現することを学ばされたとも思うのです。
「父も母も、田舎の人だから
上手く伝えられなくて、傷つけてごめん」
でも、それは
お前のことを嫌っているんじゃないんだよ と
主人は、いつも言ってくれていたのに
それに、耳を貸せなかったのは、私だった。
けれど、今年の帰省で
治療で、痩せ細った義父がいつもと同じように
「あんたも、塩梅よくやれよ。
頑張りすぎて、無理をしたらいかん」と言った時
自分が、そんな状態なのに
実は、いつも気遣ってくれていたことや
私の性格や、生活までを
実は、よく分かっていたことを思い出し
「何を、そんなに頑なに思っていたのだろう」と
自分の頑なさや、小ささが、ものすごく情けなくなった。
そして
義父があの世に旅たつために
棺の中に入れて、持っていたものが
我が子たちが、10年以上前に書いた
年に一度会うだけの、おじいちゃんへの手紙で
「あんな小さい時の手紙を
まだ、取っておいてくれていたんだ」と
おじいちゃんの思いに、涙ぐんでいた子供たち。
私の見方が変わったことから
今更ながら見えてきた、そこにあった愛情に
感謝することばかりだったんです。
そして、山本屋総本家 の 味噌煮込みうどん
こしの強いうどんと、だしが効いた赤味噌のスープが絶品!
このひつまぶしも、味噌煮込みも、主人と出会わなかったら
ご両親が愛知出身でなければ、いただくこともなかったのかもしれません。
今回、法要の中で
お坊さんが、話をされたことの中で
心に残ったことがあります。
それは、
私たち、一人ひとりが
この世に生まれてくるためには
10代前まで遡ると
1,024人のご先祖様が必要なのだと。
その1人でも、命がそこになかったら
その1組でも、夫婦の縁がそこになかったら
私たちは、今、ここにいることはない。
私たち、1人ひとりは
それぐらい、すでにかけがえのない存在であり
誰もが、ここに存在するだけで
すでに奇跡であって、スペシャルな存在なんだ。
そして、この義父・義母
そこに、繋がる人たちがいたからこそ
この主人とも巡り会うことができ
命を繋いだ子供たちがいるのだということを
どこかで、忘れていたのだと
そんな思いでいっぱいになる中で
「もう、これは反則だよなあ」と、涙が溢れたのが
義父を火葬場へと送り出す前の
最後のお別れの時にかかった、この曲だったんです。
たしかなこと
雨上がりの空を見ていた
通り過ぎてゆく人の中で
哀しみは絶えないから
小さな幸せに 気づかないんだろう
時を越えて君を愛せるか
ほんとうに君を守れるか
空を見て考えてた
君のために 今 何ができるか
忘れないで どんな時も
きっとそばにいるから
そのために僕らは この場所で
同じ風に吹かれて
同じ時を生きてるんだ
自分のこと大切にして
誰かのこと そっと想うみたいに
切ないとき ひとりでいないで
遠く 遠く離れていかないで
疑うより信じていたい
たとえ 心の傷は消えなくても
なくしたもの探しにいこう
いつか いつの日か見つかるはず
いちばん大切なことは
特別なことではなく
ありふれた日々の中で 君を
今の気持ちのままで 見つめていること
君にまだ 言葉にして
伝えてないことがあるんだ
それは ずっと出会った日から
君を愛しているということ
君は 空を見てるか
風の音を聞いてるか
もう二度と ここへは戻れない
でも それを哀しいと
決して思わないで
いちばん大切なことは
特別なことではなく
ありふれた日々の中で 君を
今の気持ちのままで 見つめていること
忘れないで どんな時も
きっと そばにいるから
そのために僕らは この場所で
同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだ
どんな時も きっとそばにいるから
このバージョンは
歌手の絢香さんが歌っているけれど
たくさんの方がカバーしているこの曲を
明治安田生命のCMで、小田和正さんの歌声を
お聞きになったことがある方も多いと思います。
私たちは、誰もが愛の中に
たくさんの命を繋いで、ここに生まれてきた
それなのに
自分とは違う、価値観や
大切なものが、そこにあっただけなのに
お互いの違いを、相手に否定されたと思ったり
寄り添うこと、本音で話し合うことしなくなって
愛が、そこにあったことに気づかずに
日々の小さな幸せに、気づくことができないことがある
そして、
お互いを深く理解することもなく
家族として、絆を結んだご縁を
大切にしあうことができなくなってしまうと思うんだ。
Photo by Kanako Nakamura
たしかなこと は
そこに、たくさんの命があったから
そこに、ありふれた幸せな日々があったから
この自分が、そして目の前の人が
今、ここに存在しているのだとということ。
誰もが、1,024人もの
命のリレーによって育まれた、大切な命であり
大切な自分と、大切な誰かの命を
決して傷つけたり、貶めたり、粗末に扱ってはいけない
そして、
大切な自分と、大切な誰かの心を
違いがあるからと批判したり、非難するのではなく
違いを違いのままに、受け入れあうからこそ
その自分を、生き様を飾らずに見せることができ
愛のバトンを、受け渡せていけるんだ。
昨日の日曜は、主人も日本から帰ってきて
今日の朝は、2ヶ月ぶりに
家族3人の朝ごはんと、お弁当を作りました。
あの日、義父の祭壇の前で
主人が、子供たちに言っていたのは
「ママと、結婚してよかったと思うのは
こんなに、自分と違う人がいるのかと言うこと。
最初は、喧嘩もたくさんして
もう、ダメだと思ったことも何度もあったけれど
話し合ってきたからこそ、理解できるようになって
失うことのないと思える家族、関係になったと思う。
そして、
違いがあったからこそ、パパの知らない世界を
ママが、たくさん開いてくれたんだ」と。
「あのさー、それを今
お義父さんの前で、言っちゃう?」とも
私的には、正直、思ったけれど(苦笑)
「あー、それ、わかるーー!」と
様々な痛い思いも、涙も経験をして
大きくなった子供たちが、ここにいる。
「また、水筒を学校に忘れてきたなーー!」
もう、今日はどうやって、お茶を持ってくのよー と
こんな、賑やかな声がこだまする毎日も
子どもたちの巣立ちまで、本当に、もうあと数年のこと。
そう思うと、この特別ではない
ありふれた日々の中で
同じ時を生きていることこそが
本当に幸せなことであり
もっと大切にしたいと、今、改めて思っています。